「俯く」
 「明ける朝 やがて来る夜」番外編


――きっと


 俯くと、水溜りに映る青空。
 風に舞う砂。
 たまに500円玉。
 下を見ていると良いことだらけだ。

 おそらく少年漫画とかなら、にゅっという擬音語がつくだろう体制で、少女が視界に入ってきた。俯いている自分の視界に…。
「下に、何があるの?」
 黒髪、黒目のもろ日本人顔の少女は疑問顔で訊いてきた。
「………」
 少年――豊田花火(とよたはなび)はだんまりを決め込む。人と話すのは苦手だからだ。
「?」
 答えない花火に少女は怪訝そうな顔をする。少女は花火が何を見ているのかが気になって仕様がないらしく、花火と同じ方向を見る。
「あ、アリ」
 二人の視線の先には、羽虫の死骸を列になって運んでいる蟻の群れがいた。その先には、小さな穴があって、蟻たちはちょこまか動きながら巣に死骸を運び入れる。
 夏特有の独特の蒸し暑い空気。二人の額から汗が流れて、地面にぽとりと同時に落ちた。二人は互いを見つめて、少し笑った。
 それから二人は少し会話をした。
 少女の名前は貞朋(さだとも)と言い、花火と同じ小学校で、実は同じ学年でクラスが隣同士のこと、朋はたまに下を向いて歩いている花火をたまに見て気になっていたこと、花火がいつも見ているもののことなどなど。
 また、話そうねと言って帰り道が分かれるところで二人は手を振って別れた。


 家に帰ると、アルコール中毒の父親は居間で寝ていた。その隙に花火は自分の部屋に入る。ランドセルからドリルを出して、今日出た宿題をやる。漢字の書き取りをしていると、伸びた髪が視界を遮った。
「……」
 切ろうかな、と一瞬思ったがこの髪は時々便利なので、そのままにしておくことにした。
 自分の髪は、少し茶色がかっていてぱさぱさしている。
 朋の髪は黒く、艶やかでさらさらしていた気がする。
 目が綺麗だった気もする。
 胸が締め付けられるような錯覚がした。


――きっと、自分とは違うところで生きている


 小学校1年生の時から4年生の今まで、成績表の担任のコメントは
『とても優しい子です。でも、もう少しお友達と話そうね』
 と書かれていた。
 花火は、人と話すのが苦手だった。苦手なだけで、嫌いではない。
「給食の残りのパン、食べる?」
 河川敷でごろごろしている時に、一緒にごろごろしていた朋が言った。
 起き上がって、リュックサックの中から給食の残りのパンを取り出す。レーズンパンだった。それを半分にちぎって、花火に差し出す。
「あ、ありがと」
「うん」
 にこっと朋は笑う。
 教科書でつぶれたレーズンパンはなぜか美味しい。
「花火ちゃんはきょうだいいるの?」
「…いない。朋ちゃんは?」
「お姉ちゃんと妹」
「いいね」
「そんなんでもないよ。お姉ちゃん、私のもの持ってくし、妹はつごう良いときだけ甘えるし」
「いいね」
「よくないよ」
「そっか」
「ねえ、今度の花火大会行く?」
「ううん。こんでるの苦手だから」
「ふぅん。じゃあさ、竹沼神社でふたりで花火しよ?うちにね、花火がいっぱいあるの」
「でも、大人いないし」
「わくわくしない?ふたりだけでするの」
「………」
 花火は誘惑に負けて頷いた。
 夜の神社で、子どもふたりで花火をするのだ。他の人間は、町の大きな花火大会に行っている。本当に、朋と二人で花火をするのだ。
 わくわくする。


 ひゅ〜〜〜〜〜〜〜 どおおおおん ぱらぱらぱら
 遠くから、花火の音が聞こえる。
 ばちばちばちばち
 花火は色が経過時間で変化する花火を行儀よくやっていた。
 朋は、花火がやっている花火と同じ種類の花火を二つ同時につけてぐるぐる回して遊んでいる。
「ね、見て丸に見えるでしょ?」
「うん」
 振り回している花火の残像が、何個もの重なった円に見えて幻想的だった。その中心に朋がいる。
「うん。きれい」
 暗闇に花火の光と、その光に照らされた朋。とても綺麗だ。
 胸が締め付けられる。
 きっと、自分はこの瞬間を忘れない。
 最後は、お決まりのように線香花火でしめた。
 パチパチパチ
「これってさ、花火とおなじ名前だよね」
 朋がぽそっと言う。
「なんか、寒いだじゃれみたいで言わなかったんだけど」
 パチパチパチ
「キレイだね」
 パチパチパチ
「うん」
 照れた。
 線香花火のことなのに、自分のことを言われているみたいで。
 パチパチパチ
 ジ ジ ジ 
 ぽとっ
「あ…っ」
 線香花火の玉が地面に落ちる。何かがこげる匂いがした。
「もうイッコやろ」
 落ちて、暗闇に溶けた玉が悲しく思えた。
「花火、ハイ」
 朋が線香花火を差し出してくる。
「うん」
 朋の笑顔につられて笑う。
 朋といると、自分は話せるようになったと思う、笑えるようにも。
 赤い線香花火の玉からジグザグの光の線。
 小さな稲光のような花火は、暗闇の中で輝いていた。
 パチ パチ パチ
「キレイだね」
 パチ パチ パチ
「うん」
 綺麗だけど、すぐにこれも終わってしまう。
 幸せのように。
 光の勢いがなくなってきて、やがて玉が落ちる。
 また朋は線香花火に火をつけて楽しむ。
「………」
 自分と同じ名前の花火が光を失う度に、どうしてだろう泣きたくなる。
 今が夜でよかった。
 暗闇の中でよかった。
 目が潤んでも、朋は気づかない。
 この瞬間だけでも贅沢なのに、どうしてだろうもっとこの幸せをかみしめていたいんだ。
 ずっと、朋と笑っていたい。


 帰ると、父親は居間で酒を飲んでいた。
 こっそり見つからないように部屋に行こうとしたら見つかった。
 火薬臭さで、怒られて、殴られた。
 こういう時に、自分の長い髪は良い。父親の顔を見ないで済む。


 俯くと、綺麗な世界。
 人の顔も、醜さも見えない。
 それでも、顔を上げて朋と出会えた。


――きっと

――きっと

 いつか終わりの来る幸せ。
 それでも願わずにはいられない。

 ずっと、朋と笑っていたい。












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終了です。

「明ける朝 やがてくる夜」の番外編。
主人公の朋の幼馴染、花火の話でした。
この話の後の冬、お約束のように花火は朋に会うことのできない遠くへ
引っ越します。(言うのかよ)
その後、某大学で再開するんですけど、その後にまた…。
「明け朝」は基本的に、シリアス路線。人間模様が複雑すぎて…。

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